地球環境の提案(その6)

                                          中国沙漠緑化・黄土高原のお話

 

 地球環境の提案(その5)では、クブチ沙漠でのことを書きましたが、今回は黄土高原での沙漠緑化のお話です。 黄土高原はもともと沙漠ではありませんが、沙漠化はしています。 クブチ沙漠と違って、人間が沙漠化させてしまった場所なのです。

 黄土高原(こうどこうげん)は中国内陸部の黄河上・中流に広がる標高1000m~2000mの一帯です。 かつては森林地帯であったといわれていますが、現在はほぼ表土がむき出しの沙漠化した一帯となっており、雨による表土流出が激しく、溝が大きくなった谷がそこここに形成されて、山岳地帯のようになっています。 

 森林地帯がなぜ沙漠化したかといえば、人間が伐採したからです。 中国は広大で、かの地の人々は土地は無限にあると考え、燃料用や焼き畑農業で森林を原野に変え続けた結果、一帯はどんどん森林がなくなってきました。 前回の「地球環境の提案(その5)」で書いたように、森林がなくなると地中水分の空中放出が少なくなり、雨が少なくなるのです。 雨が少なくなると伐採された土地は森林に戻りにくくなります。 中国四千年の歴史といいますが、その間こんなことを続けた結果、広大な黄土高原はほぼ沙漠のようになってしまったのです。

 沙漠化すると少しの雨でも保水力がないため表土流出が起こります。 せっかく森林の木々が長期間に作った植物が育ちやすい腐葉土がまず流出してしまい、栄養分のない地層が表土となってしまいます。

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 黄土高原の土は砂よりも細かい粘土に近い土(シルトといいます)が主体です。 細かいのでこれが乾燥すると強風により空中に舞い上がり、上空の気流によって各地に運ばれてふりそそぐのが黄砂(こうさ)です。 日本にも春によく降り注ぐ黄砂は、中国の人為的沙漠化という環境破壊の結果発生する現象なのです。 また、黄河にはこの細かい粒子が流れ込んでいて、いつも濁っているので黄河と呼ばれるようになったのです。 黄土高原が大森林の時代は、澄んだ水の流れている川だったので、黄河ではなく単なる大河だったのです。

 私たちは、甘粛省にある蘭州市南西部の劉家峡という大きなダムで有名な街の近くにある植林地で最も多く活動を行いました。 2004年のケースでは、行きは北京から西寧まで国内線(飛行機)で行き、西寧付近の読書防護林で1日植林活動をし、翌日バスで蘭州・劉家峡へ移動し再び植林活動を行いました。    

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 植える樹種名は教えてもらわなかったのですが、見たところはヒノキ科の木であろうと思います。 写真でわかるように、現地は表土流出で沢山の谷が出来ていますので、傾斜地に植林するのです。 植林地では、予め現地の人が植林用の小段を作ってあるので、そこに穴を掘って木を植え水をやります。 水は緑化用の散水パイプが配置されているところがあるので、そこで汲んでくるのです。 現地の小学校と交流し、そこの生徒たちと一緒に植林をし、その後学校見学や交流会を行ったこともたびたびありました。  

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 何度か行っていると、過去の植林地を見に行く機会もありました。 4年も経つと背丈以上に育った木が多く、感動と達成感に包まれるのです。
中国政府も国内の沙漠緑化には相当力を入れており、黄土高原では広範囲で植林が行われています。 帰りの飛行機で西安から北京まで飛んだ時、眼下に広がる山々はほぼ茶色の山肌でしたが、頂上からすそ野までどの山も年輪のような縞模様がみられるのです。 これはすべて植林用の小段を人力で作ったもので、すでに苗木が植えられたところ、今から植えるところがあるわけですが、その範囲の広大さは政府の力の入れようの大きさが感じられたところでした。 
 当時は中国だけでも1年間に東京都の面積以上が沙漠化しており、北京まで砂嵐が来ているといわれていましたが、中国の国力が向上した現在はどうなっているのでしょうか。 あれから十数年が経過し、今あの山々は緑に変わっているのでしょうか。 もう一度同じルートを飛行してみたい思いが募っています。