あおりあおられ

 以前に、「キープレフト」と題して交通マナーについて書いたが、今回はあおり運転を考えてみたいと思う。 ただ、常軌を逸した運転は警察もかなり力を入れて取り締まっているようなので、私は「あおりあおられ」と題して、あおられる側に焦点をあてて論じてみたいと思う。

               あおりあおられ

 近年、あおり運転が社会問題となっている。 特に、神奈川県で起きた、いわゆる「東名あおり運転事故」以来、社会の声に押される形で、警察もあおり関連の取り締まりを強化しており、検挙件数も激増しているようである。
 ただ、あおる側の問題ばかりがクローズアップされ、あおられる側の問題は、まったく議論されていない。 果たしてあおられる側に問題は全くないのか?

 そもそも、あおり運転とはどんな行為をいうのか? goo辞書によれば、「煽る」とは「前を走る車の後ろにぴったり付いて走る」とある。 すなわち、「東名あおり運転事故」は「あおり運転」と表記するのはおかしいことがわかる。 この件の運転形態は「妨害運転」であろうし、運転手の性癖から言えば「狂気運転」と書くべき案件であり、文言通りの「煽り運転」とは一線を画すものであると思う。 ここでは、文言通りの「前を走る車の後ろにぴったり付いて走る」煽り運転について、考えてみたいと思う。

 文言通りの「煽り運転」が発生する原因の過半はあおられる側に責任があると私は考えている。 煽られることが頻繁にある人は、「自身の運転に原因があるかも」と考えて、運転の仕方を再考されることをお勧めするが、そもそも煽られていることに気付かない人があおられていることがかなり見られる。 煽られやすい運転を列挙すれば、「片側二車線の右側をとろとろ走る、または左車線の車と並行して走る」「片側一車線の道路で、極端に遅いスピードで走る」「速く走ったり、遅くなったり、曲がりそうになったり、やめてまっすぐ走りだしたり、他車を気にしない運転」等々です。 これらの運転者に共通するのは「何も考えずボーとして運転している」「周囲の他車を全く気にしていない」ことです。

 社会生活の中では、運転に限らず他者に対した配慮がないと、円満な生活を送ることはできません。 そもそも車を開発し、道路を整備したのは遠距離の到達時間を短縮し、人間の活動範囲を広げることが目的ですから、ある程度のスピードで走ることは当然で、「ゆっくり走ること」が善で、「速く走ること」は悪であるという考え方を持っている人がいたとしたら、根本的に考え方を変えていただく必要があると思います。 要は、「安全」が担保される最大のスピードで走る、言い換えると道路車両の流れに乗った運転をすることが、社会交通で必要なことなのです。 

 したがって、あおり運転に会わない運転とは「ゆっくり走りたい人は、キープレフトを遵守し、速い車は先に行ってもらう」ことです。 左端に駐車が多いとか、見通しが悪く飛び出しに対処必要があるとか、道路状況によってはキープレフトが難しい場合もありますが、常にバックミラー等で後方も確認し、急ぐ後方車があれば左に寄って走る配慮が必要です。 

 運転に自信のない人は車線変更が苦手なので、右折しようと思うと何キロメートルも先に右レーンに入り、とろとろ走るので煽られることがおこりがちです。 右レーンに入るのは、最大でも500m以内にしましょう。 そして、バックミラーやサイドミラーを時々見る習慣をつけ、自分の周囲の状況を確認しながら走る練習をしましょう。 運転が下手なのは、だれの責任でもなくあなたの責任です。 下手な運転は、バックミラーを見る、車幅感覚を確認する、マナーを学んで守るなどを意識して運転していると上達します。 何事でも練習しなければ、下手は下手のままです。 下手な運転を放置したまま道路走行をすることこそ悪です。

 他車を意識した運転をすれば、おのずと交通はスムーズになり、社会全体の生産性が向上します。 今や、国が豊かになるかどうかも他国と比較した国全体の生産性の高低が問われます。 生産性の向上は、企業の努力以外の社会インフラやマナーを含めた、国民全体の問題でもあります。 このような交通マナーの向上一つでも生産性は向上できますし、生産性の向上は結局国民一人一人の利益として還元されるので、国全体が豊かになり、あなたが豊かになるのです。