権利と義務

                権利と義務

 

 北海道江差町障がい者グループホームで入所者が夫婦で入所する条件として不妊処置を求めていることが問題となっている。 私は一連の報道を見ていて、大きな違和感を抱いている。 それは識者といわれる人のコメントや報道論調が入所者の権利云々ばかりで、生まれてくる子供の視点で述べられているものが見られないからである。

 

 そもそもグループホームとは障がい者が支援を受けて生活する場所であり、入所者に障がい者ではない子供ができることを国は想定していないようだ。 想定していないということは、子供が生まれてもだれも責任を負わず、国は入所者に「子供は作ってくれるな」と言っていると同じ事である。 にもかかわらず、識者といわれる無責任な部外者がこのグループホームに対して「人権侵害の可能性がある」とか「社会福祉法の趣旨に反する」とかコメントしているが、法や制度の不備の中で不備を埋めるために自ら合理的ルールを設定して行動している事業者に対して、自らは制度の外にいて何ら責任も取らず行動もしていない輩に非難めいたコメントする資格などはあるはずがないと思う。

 識者は障がい者の権利云々は言っているが、生まれてくる子供の権利には全く言及していない。 自ら生を受けることを選択したわけではない子供幸福に生きる権利尊重することこそ最重要課題と考えるべきであろう。 

 生まれてくる子供にはこの世に生を受けた以上、自立できる年齢に達するまで育ててもらう権利があり、親はその権利を認めて養育する義務がある。 現状のルールではだれが子育てに責任を持つのか、自立できるまでの子育て費用はだれが負担するのか全く分からない中で、権利だけを主張するのは無茶苦茶である。 権利と義務は常にワンセットなのだ。 「子供を養育する」という義務を果たせない親権利を主張する資格がないことは明らかである。 

 

 一般健常者でも収入が少なく結婚自体をあきらめる人や結婚しても子供が望むような高等教育まで含めた養育をする自信がないために「子供を持つ」ことをあきらめる人は数多存在するのである。

 制度外にいて安穏として暮らしている傍観者は不完全な制度内で苦労している事業者を非難したりコメントしたりする資格はありません。 自ら制度内で改革の努力をしている人、改革を実践した人だけができるのです。

 また行政は問題が発覚してから慌てて監査を実施するといっているが、不完全な制度を放置していた行政は監査する資格などありません。 まず自らが反省し自らを監査する必要があるでしょう。 そして関連法を整備し予算措置を講じ、事業者にルールを周知するのです。 

 わたしのこのブログは「幸福」がテーマです。 このブログを始めた冒頭に「ブログ初挑戦」と題して公開した中で「私たちの人生目的は幸福になることである」と書きました。 すべての人は人生を幸福に生きることを目的としているのです。 自身の生活さえ他人の世話にならざるを得ない障がい者が子供を幸福にできるでしょうか。 子育てというのはそんなに簡単なことではありません。 子供を幸福に育てる能力のない親が子供を作るのは自ら「不幸」を作り出しているということです。  将来子供に「育てられないのになぜ産んだ」と責められたらだれが責任をとれるのでしょうか。

 議論は「命を産みだす責任はだれがとるのか」を中心にすべきとおもいます。