教育の公平について

  前回の平等と公平論に続き、今回は教育の公平について論じてみたいと思います。 ここで論じる教育とは、主として義務教育のことであり、特別な目的を持った教育や特別な人を対象とした教育のことではありません。 国の基礎を作る教育について、多くの人に考えていただければと思っています。

                                                   

                                                       教育の公平について


学校教育の現場でも「公平」と「平等」の区別がつかない輩が仕切っている為、多くの子供達に弊害を与えているようだ。
教育は「公平」でなければならない。決して「平等であってはならない」
現在の教育の目的は「社会を継持・前進させる人材を育成する」ことですから、次のような原則があります。
「公平」な教育の原則その1は「教育の機会均等」です。
意欲も能力も有る者が、経済的理由で上級教育を断念せざるを得ないとすれば、「公平」に反しますから、経済的援助の制度が必要です。
又、能力が高く、多くの人よりもスピードを上げて教育をすすめることを望む者には、そのような制度や機関を整備しておく必要があります。
逆に通常の教育スピードについて来られない者には、そのような制度や機関が必要となります。
教育の機会均等とは、その人にベストの教育環境を差別なしに与えるということです。
原則その2は、教育は「社会へ出た時、適応出来る能力を全員が身につけること」であるということです。
この原則から言うと、人とコミュニケーションを取る為の最低限のマナーや言葉遣い、社会生活を送るのに必要な計算能力、会話の中に入れる常識を与えてやることが必要になります。
運動会で、お手手つないでゴールインしている学校があると聞きましたがこの学校では正に「社会適応力」を身につけさせることを放棄しています。
社会では必ず競争が出て来ます。
1度負けて、悔しかったら練習努力して、次に負けない力を身につける。そして勝って他人の賞賛を受ける喜びを味わう。
かけっこで他人に勝てそうもない者は、自分の得意分野を見つけさせて、誉められる喜びを味わわせてあげる。そして努力して成長するとほめられるという喜びを感じさせることが必要です。
公平というのは、生徒の持つ能力を最大限に育てる為に、どの生徒にも愛情を注ぐことであり、一部のいわゆる「出来る生徒」だけに目をかけることではないが、出来る生徒の成長を出来ない生徒に合わせさせることでは決してない。
教師はこのような努力をして、生徒が社会へ出た時に競争しても負けずに挑戦出来る能力を身につけさせる必要があります。
「平等」教育で、伸びる人材の頭を押さえていませんか。社会適応力のない人間を造り出していませんか。
教育現場の人達はもっと考えて下さい。